金崎宮・田村宮司にインタビュー

「花換祭り」に見る、港町つるがの人柄

敦賀湾を臨む小高い山の中腹に位置する金崎宮。難関突破と恋のパワースポットとして知られる一方で、敦賀市民にとっては「お花見スポット」として馴染み深い神社のよう。毎年4月には、福娘と呼ばれる「一般公募で集められた女性」と造花を交換する、全国的にも珍しいお祭り、「花換え祭り」があります。この祭りも「花見と関わりがある」ということで、金崎宮の宮司を務める田村さんに詳しく伺いました。



■皇室関係者を祀る官幣中社

金崎宮は、後醍醐天皇の御子息にあたる尊良親王、恒良親王を祀る官幣中社。まずは神社創建の歴史を教えていただきました。


田村宮司:遡ること南北朝時代。後醍醐天皇が政治を握ると、全国各地に自分の王子を使わせ味方を募りました。北陸には、後にこの神社の御祭神となる、尊良親王、恒良親王が派遣され、気比氏治(けひのうじはる)の力を借りようと敦賀にもやってきます。気比氏治とは、気比神宮の大宮司を務めた武力者で、この場所はかつて氏治の城でした。しかし、そこに後醍醐天皇と敵対する足利軍が攻めてきたのです。この戦の中で尊良親王は自ら命を絶たれました。このような重要な歴史があるので、明治時代に政府によって建てられたのがこの金崎宮です。


しかし金崎宮では、地域の平和と安寧を守る氏神を祀っておらず、氏神を崇敬し、神社の維持をする氏子という組織も存在しないのです。神社維持のためには、多くの人にきていただく必要がありました。



■神社の命運をかけ、植えられた桜たち

そこで金崎宮は、後醍醐天皇をゆかりとする点に着目し、多くの人に来ていただくための工夫として、「桜」を境内にたくさん植えたと言われます。





田村宮司:後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮には、たくさんの桜が植えられています。それ故か、はたまた桜には日本人の心の象徴のようなところがある故か、この神社にもたくさんの桜の木を植えますと。すると、桜を見に人々が神社へと上がってきました。




思惑通り、桜の時期になると麓から人々がこぞってやってくるようになり、金崎宮は桜の名所となったわけですが、港町敦賀の人々は、どうやらただ花を愛でるだけではなかったようです。



田村宮司:港町として西洋と繋がっていたために、敦賀は非常にフランクな市民性があったのかもしれません。また当時は遊郭もあったので、女性の方も一緒に上がってきて、境内でどんちゃん騒ぎをしたんです。お酒の席で男性も女性もおりますから、咲いている桜の枝を追って渡したりしたのかもしれませんね。






■花を交わす男女の姿から祭りが生まれる


まるで「現代の合コンのようなコトが行われていた」というのがとてもユニークですが、神聖な場所でなぜそれが許されたのでしょうか?




田村宮司:氏子のいない神社ですから、追い払うのではなく、これをきっかけにしたかったのだと思います。そこで、桜の枝を渡す男女を見て、『桜の造花を授与して、遊べるようなお祭りができないか』と考えられたのです。そこでヒントになったのが、九州・太宰府天満宮で行われる鷽替神事(ウソカエシンジ)と言われています。


鷽替神事とは、太宰府天満宮で行われる、鷽という鳥の木彫りを交換し、「知らず知らずのうちについた嘘を真に変えて、幸せになりましょう」という祭り。この神事を参考に、明治40年頃に、金崎宮では造花を交換する「花換祭り」ができたと言われています。しかし、この鷽替神事の情報を当時の宮司がどのように知ったのかは定かではないのだと言います。




田村宮司:港町ですから、博多との繋がりがあったのかもしれませんし、金崎宮には国から宮司が派遣されますので、鷽替神事のことを知る宮司が当時来ていたのかもしれません。とにかく、よその情報を得て始まった祭りというのが、外との繋がりの深い敦賀らしい祭りなのです。





■花を換え、良縁願う「恋の宮」


太宰府天満宮の祭りをヒントに出来上がった「花換祭り」。男女間の交際のきっかけがなかった当時は、男女の縁を取り持つ場として大変重宝されました。こうしたことから金崎宮は「恋の宮」とも呼ばれ良縁を願う神社へとなっていったわけですが、「戦後は大変厳しい時代だった」と田村宮司が教えてくれました。


田村宮司:氏子のいない神社ですので、宮司がいない時期もあったようです。しかし、なんとかして花換祭りを続けようと観光協会が主催して祭りの字をひらがなにした『花換まつり』や『さくらまつり』という形で祭りが残されました。平成元年に私が宮司としてやってきて、花を交換してくれる人を立てようと『福娘』という神様と参拝者の間を取り持つ役を作りました。『福娘』は神に使える訳ではないので、巫女ではありませんので彼女たちにもまずは祭りを楽しんでもらうことを第一に考えています。観光協会と連携し、一般公募で福娘を募集するというのも、花見をきっかけに生まれた遊び心のある祭り故にできることなのです。



毎年、市外からも応募がくるという花換え祭りの「福娘」。今年はコロナ対策も兼ねて市内在住者に限定した募集となったそうですが、この福娘という制度もまた、敦賀市と市外の人とのご縁を結んでいたのかもしれません。

花見を楽しむ男女から着想を得たという、なんともハイカラな花換祭り。そこから垣間見えるのは、気さくな港町の気質でした。