港からはじまる歴史とロマンの街
敦賀市は、古くから天然の良港として知られ、大陸文化の玄関口として栄えた港町です。現在でも、港には外国のコンテナ船、高速フェリーが就航し、敦賀経由で人やものが運ばれてきます。また、原子力発電所などの発電施設が立地し、エネルギ-の供給都市としての性格ももっています。
伝統的な産業としては、おぼろ昆布やかまぼこなど、海産物を利用した食品加工業が盛んで、おぼろ昆布のシェアは何と全国の約85%を占めています。
歴史に刻まれた人道の港
「ポーランド孤児」の上陸
ロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児763人が、日本赤十字社の援助により1920年から1922年にかけて敦賀港に上陸しました。受け入れた敦賀町は、菓子・玩具・絵葉書等を差し入れ、宿泊・休憩所などの施設の提供を行いました。また、地元の人々からも菓子、果物などの差し入れが行われ、子どもたちにできる限りの温かい手を差し伸べました。
「ユダヤ人難民」の上陸
ナチスドイツの迫害により祖国を追われたユダヤ人難民約6,000人は、杉原千畝の「命のビザ」を手に握りしめ、1940年から41年にかけて敦賀港に上陸しました。敦賀の人々は、ユダヤ人難民にリンゴなどの果物を無償で提供したり、銭湯を無料で開放したりと温かいおもてなしをしました。
人道の港 敦賀ムゼウム
人口統計
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人口
61,736人
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世帯数
28,035世帯
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男性
30,530人
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女性
31,206人
位置と地勢
福井県の中央に位置し、北に敦賀湾口を開いて日本海に面し、他の三方は山岳が連なり、敦賀湾と平野部を囲んでいます。東西約14km、南北約26km、面積は251.47㎢(令和6年4月1日現在)※で若狭湾に大きく張り出た敦賀半島と54kmに及ぶ海岸線が、敦賀湾を日本海の風や波浪から防ぎ、天然の良港を形成しています。 日本三大松原の一つに数えられる気比の松原は、敦賀湾の最奥部に位置し、海とのすばらしい景観を織り成しています。
※国土地理院「令和6年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)」より引用
アクセス
中京・京阪神に1時間ちょっとで行けるアクセスの良さ。美しい自然の中で暮らしながら都会へ通勤・通学も可能です。
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東京
JR 約3時間(新幹線)
自動車 約5時間30分[460km](新東名高速道路・東名高速道路) -
金沢
JR 約40分(新幹線)
自動車 約1時間30分[130km](北陸自動車道) -
名古屋
JR 約1時間40分(特急)
自動車 約1時間30分[125km](北陸自動車道・名神高速道路) -
京都
JR 約50分(特急)
自動車 約1時間30分[125km](北陸自動車道・名神高速道路) -
大阪
JR 約1時間20分(特急)
自動車 約2時間[160km](北陸自動車道・名神高速道路)
2024年、北陸新幹線でさらに便利に!
北陸新幹線敦賀開業により、乗り換えなしで東京に行けるようになりました。また、新幹線の駅は現在の駅のホームと連結したので、在来線で中京・関西方面へも簡単にアクセスできます。敦賀は北陸の玄関口として大きな役割を担います。